私はこれまで、マンガ・アニメ・ゲームの表現の自由を守るべく、漫画家として、またユーザーの一人として、活動してまいりました。児童ポルノ禁止法改正・TPPによる著作権侵害の非親告罪化、静止画ダウンロード違法化などの際、表現規制と闘い、表現の自由を守り抜いてきたと自負しています。
しかし、ここ最近、いわゆる"萌え絵"を中心とする表現について、国内や海外から規制を強める強烈な圧力が再燃しています。表現の自由を巡る局面は、一切油断できない「差し迫った状況」です。しかし、クリエイターや漫画家からは、声はなかなか上がりません。
「誰かがやらなくてはならない!!!」
強くそう想い、私自身が直接政治に関わっていく必要があると決心しました。
国連や海外へも適切な説明をしていかなければなりません。フランス・イタリア・アメリカ・ブラジルなどでの、私の海外での活動と高い知名度が、必ず役に立つと考えています。
加えて、私の決意を決定的にさせたのは、新型コロナによる社会の変化です。
私が連載していた少年マガジンなどの「商業誌」は、コロナ禍による巣ごもりの際、海外の海賊版サイトによって甚大な被害を受けました。更に、電子出版しかされない新人漫画家などは、クリエイターとしての生存が脅かされる事態になっています。
コミックマーケットなどの同人誌即売会をはじめとする、国内のエンターテイメント業界の被害も深刻です。多くのイベントは存続の危機にあり、開催継続に向けた国の支援が不可欠です。私は二次創作同人誌の出身であり、文化の揺りかごである同人誌即売会の火を絶やさないことが自分の使命であると感じています。
これらの現場の意見や打つ手を適切に国に伝え、文化やクリエイターを守り、そしてマンガ・アニメ・ゲームをはじめとするエンターテイメントを日本経済再興の起爆剤、世界平和実現のための文化外交の手段とすることは、同人サークルから商業誌連載、アニメ化、ゲーム化などあらゆるメディアミックスを体験してきた、私にしかできないことと考えています。
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現在の日本では、自由な発想が相当に担保されています。我々クリエイターが規制を気にせずに、想像や創作をすればするほど、作品の可能性は広がってゆくのです。
近年は、危険や衝突をあらかじめ避けるため、規制を進めていこうという世界的な流れがあります。しかし、私は作品を創る上では、あまりいい潮流ではないと思っています。「私が不愉快だから削除してほしい」「社会的制裁を与えてほしい」「法規制してほしい」という考え方を俯瞰してほしいのです。なぜなら、何がよくて何がダメなのかは時代によって左右され、一度規制が始まると、その後の線引きは非常に難しくなるからです。 「全員が心地いい作品はない。少しの不快を少しずつみんなが受け入れていくのがダイバーシティの基本」です。一方で「この表現はひどい」「あれはないよね」という批評・批判は全く問題ありません。それを受けて作者が「そうか、そういう考え方もあるよね、じゃあここは変えるか」という場合も十分にありえます。それだって作者の表現の自由です。
「常識はいつ変わるかわからない」という立場と意識で、あらゆるコンテンツを慎重に扱っていくべきです。私は漫画家ですから、創作者の立場で表現の自由を守っていこうと思っています。表現の自由とはゴールがあるものではありません。規制したい、排除したいという動きがあるたびに「表現規制という圧力」をその都度押し戻している。その作業を先頭になって繰り返しているのです。
マンガ・アニメ・ゲーム・音楽・映画・小説・舞台・ダンス、様々なエンターテイメントのコンテンツは、日本が外貨を稼ぐ力のある重要な資源でもあります。特にマンガ・アニメ・ゲームは、アメリカ、中国、韓国にも負けない、まだまだ世界一のコンテンツであると信じています。これらを守り、育てていかなければなりません。
マンガ・アニメ・ゲーム・音楽・映画・小説・舞台・ダンス、様々なエンターテイメントのコンテンツは、日本が長年培ってきた大切な文化です。それらの文化とインターネットやSNSの融合によって、今の日本は誰もが簡単にコンテンツを創作・発信できる「国民総クリエイター」とも言えるUGCの時代になりました。
新しいコンテンツの創造や、それらのブームの火付け役は、子どもや若者が中心になることが多く、私たちの文化の火を絶やすことなく引き継いでいくためにも、子どもや若者がコンテンツを楽しむことができる機会の提供や、教育機会の拡充は必要であると考えます。孤独感や悩みを抱える子どもや若者にとって、コンテンツはよりどころや、一時的な不安の解消となりうる場合もありますが、政治の最大の責務の一つは、これらの若者の根本的な不安の解消にあると考えています。