赤松健のスペース第3回「『週刊少年マガジン』連載作の半分がラブコメになったのはなぜ?」(2022年2月21日)をダイジェストしてお届けします。今回もゲスト・スピーカーは豪華! ヒロユキ先生、若林稔弥先生、梵辛先生、ついには森川ジョージ先生も降臨し、さらには双龍先生も!

ざっくり少年誌ラブコメの歴史

 1998年スタートの『ラブひな』以前の『週刊少年マガジン』(以下・マガジン)はヤンキー物やスポーツ物が強い〝少年誌〟でした。赤松によると『巨人の星』(原作:梶原一騎先生・作画:川崎のぼる先生)と『あしたのジョー』(原作:高森朝雄(梶原一騎)先生・作画:ちばてつや先生)で一時代を築いた同誌も2作終了(71年と73年)後は低迷期に入ります。その後78年に柳沢きみお先生の『翔んだカップル』が大人気を集めますが、ライバルの『週刊少年サンデー』(以下・サンデー)では高橋留美子先生の『うる星やつら』が、81年にはあだち充先生の『タッチ』が連載スタートします。この頃からラブコメという和製英語が一般化し、サンデーがその中心地となりました。

「美少女が描ける人はみんなサンデーに応募していたんですよ。実は、あさりよしとお先生も、うたたねひろゆき先生もサンデーのデビュー」(赤松)。

 84年には『週刊少年ジャンプ』でも、まつもと泉先生の『きまぐれオレンジ☆ロード』が始まります。マガジンでも遠山光先生の『胸キュン刑事』(87年)、赤松の師匠カジワラタケシ先生の『彼女はデリケート!』(89年)といったアニメっぽい絵柄のラブコメが人気を集めます。とはいえマガジンはまだまだヤンキー&スポーツ。

マガジンのラブコメ王は?

 90年代前半のマガジンではイタバシマサヒロ先生原作・玉越博幸先生作画の『BOYS BE…』がラブコメの代表選手でした。赤松はその裏で『A•Iが止まらない』を描いていたのですが、当時は「マガジンの表紙を描く時に中心には男キャラを描く」という決まりがあったそうです。しかし同作が『マガジンスペシャル』に移籍後にヒットしたこともあり、『ラブひな』からは女子キャラを真ん中に配置してもよくなりました。

 赤松は『ラブひな』をハーレム型と位置づけます。女の子が何人も出てきて〝○○ちゃんルート〟が選べて、必ず自分好みのキャラとゴールできるギャルゲーフォーマットです。さらに重要なのが〝主人公のライバルの排除〟によって読者のストレスが軽減され、その後、ラブコメからはライバルが出てこなくなったそうです。編集部的に大きかったのが2クールのアニメ化。コミックスが売れ、グッズ、CDも売れ、声優イベントなど編集部にとってのうれしい初体験が続いて、「編集部がおかしくなっちゃった」(赤松)。

 ギャルゲー型漫画は結局ひとつのルートしか選べなくなります。そこで全ルート攻略を目指したのが『魔法先生ネギま!』でした。主人公(10歳)は結ばれそうになると「僕、子どもだからわかんないや」と逃げられますから。その後、瀬尾公治先生の『涼風』、吉河美希先生の『ヤンキー君とメガネちゃん』、宮島怜司先生の『AKB49』などがあって、最近では春場ねぎ先生の『五等分の花嫁』が大ヒットしましまた。

 こうしたマガジンのラブコメ化は栗田編集長の証言によると「いい作品を載せてたら、たまたまラブコメが多かっただけで、時代が求めているんじゃないか」ということで、時代の流れ、読者のニーズの変化も大きいのでしょう。

ラブコメに明日はあるのか?

 「ラブコメは読者のストレスを軽減する方向に進化する」という赤松が「恐るべきことが起きた」と指摘するのが2000年に登場したあずまきよひこ先生の『あずまんが大王』です。もはや主人公さえ存在せず「美少女たちを外から眺めて楽しむだけで、もうよくなっちゃったの」「で、そのあと、美少女に同一化、バ美肉の時代ですよ」(赤松)という究極の世界に突入していきます。

「本質は読者の願望の充足。ストレス軽減はその課程だったね」(赤松)

 ただ、この方向に絞り込んでいくと間口が狭くなるのでは? とヒロユキ先生。

「奇をてらうよりは、その時の新しい読者が新鮮な気持ちで読める、本当に王道のラブコメの方が普通にいいような気はします」(ヒロユキ先生)

 赤松も編集部的から「次の作品は王道で」と求められたそうです。ひとつにはアニメ化を狙いやすい、海外展開しやすいという営業的な理由もあるとか。

 スピーカーとして召喚された『口べた食堂』の梵辛先生は、「ラブコメの依頼が来たら」という質問に、連載作品の作画クオリティが高すぎて「それを実現できるだけの仲間を集めるところから途方に暮れているっていう人は、新人世代に多いんじゃないかな」と率直に指摘しました。……とそこへ森川ジョージ先生が降臨! ラブコメの歴史について赤松が語り切れなかった部分を補足しました。83年頃感じたラブコメの予兆は柳沢きみお先生の『翔んだカップル』で、「このフォーマットであれば、三角関係を利用して、もうネタは尽きずに、ずーっと描けるって書いてありました」(森川先生)

 その連載中に村生ミオ先生の『胸さわぎの放課後』が来て、柳沢先生がちょっと文学的な『朱に赤』を描き、83年の大和田夏希先生の『虹色town』(83-86年)があって90年代の『BOYS BE…』へとつながります。

 では、今も人気が続き、異世界転生でも展開されるハーレム型ラブコメはこの先どうなるのでしょうか? 赤松と森川先生は「終わらないかも」と一致しましたが、その表現の変遷は一定ではありません。マガジンのラブコメについて若林先生は、よりストーリー性のあるベタな作品が増えて、オタク向けというよりは一般の読者が読みやすくなっていると指摘し、森川先生も画面作りが「見やすい漫画がウケている」という実感を語ります。

「スマホの画面の中で見やすい限界値を探して描ける作家ってのが素晴らしい」(森川先生)

 先の梵辛先生の指摘する「若手の前に立ち塞がるクオリティの壁」を超えた景色が見え始めているのでしょうか? 赤松や森川先生世代の追求した描き込み、光源の位置にこだわる陰影描写とは違った「見やすい描き込み」の時代が来ているのかもしれません。

 最後に登場した双龍先生は「デジタルを最初から意識しています」と森川先生の発言を裏付けます。その上で昔の漫画はページ当たりのコマ数が多かった(赤松漫画は12〜15コマ)のに対し今は減ってきていて自作ではページ平均3〜4コマで、ひとつのフキダシの中に膨大なセリフを入れないようにしていると証言。これについては梵辛先生も若林先生も同様の見方をされていました。

 ラブコメの歴史は現在も流動的でどんどん新しいフォーマットが投入され、過去の名作も含め、選択肢は増えていきます。今後も目が離せないですね。

編集協力:永山薫
協力:赤松健サポーター有志