先週末(4/27~4/28)は、石川県の珠洲(すず)市・輪島市を視察し、能登半島地震の現在の状況を確認してまいりました。そして「スズトウシャドウ印刷」平野さんや「メルヘン日進堂」石塚さんご本人から、「全国的に広めてほしい事実」と「珠洲市の事業者の今後」についてヒアリングしてきましたので、ここで発表いたします。

(※前回のzoomヒアリングは3/21)

視察の前に予め、石川県が地元である西田昭二議員・佐々木紀議員・小森卓郎議員・岡田直樹議員・宮本周司議員に「行く目的と経緯」を説明し、また中小企業庁から「能登地震の中小企業に対する支援」についてレクチャーを受けました。勝手に訪問し、いい加減な支援策を語るのは避けるべきだからです。 今回のコースは、東京駅6:16→(北陸新幹線)→金沢駅8:43→(車で3時間)→珠洲市12:15→輪島市16:13→金沢駅19:02、とスマホに記録されています。 金沢駅はとにかく栄えており、翌日行った金沢城近辺の街は若者が非常に多く、アートや音楽祭が盛んで、道や建物は清潔で整っており、地震の影響は殆ど感じませんでした。(店の人によると、新幹線開通で観光客が激増し、大規模ホテルがどんどん建っているとのことです。今は海外からの観光客も凄いです。) それに対して、珠洲市と輪島市は「酷い」の一言で、4ヶ月経った現在でも「震災当日から殆ど何も変わっていない」と言えます。

■ 知ってほしいこと(1)「珠洲市ではいまだに住む所が無い人が多数」

国内では、能登半島地震のニュースが減って、「もうひと段落しただろう」と何となく思っている国民も多いかもしれません。ところが実際には、珠洲市では ・いまだに住む所が無い人が多数。(避難所から仮設住宅になかなか移れない) ・家や建物が倒れたまま。(公費解体もまだ数件のみ) ・ようやく水道が通ってきたが、各家庭や事業所までは漏水が多くまだまだ使えない。 という状況でした。よって事業を再開することもできません。 「スズトウシャドウ印刷」の社員の一人は、この2ヶ月間は印刷所のガレージに住んでおり、2週間前にようやく仮設住宅に入れたとのこと。これでもまだ早い方だそうです。 「メルヘン日進堂」石塚さんは、自宅が津波で海水に浸かってしまい、今も避難所から職場に通っているそうです。修繕業者も今は順番待ちで、この手の事例では「ある程度の危険を覚悟で自宅に住む」人もいます。

■ 知ってほしいこと(2)「事業所を救う手立てが少ない」

現在、珠洲市内の多くの中小企業では、助成金を使っても給与を100%出すことができず、生活のために離脱せざるを得ない社員も多くいるそうです。また「石川県なりわい再建支援補助金」は「壊れた設備を元に戻す」ことが基本であり、もう販売されていない古い型の機材でも同じグレードでしか保証されないなど、現実にそぐわない状況があります。さらに新型コロナ感染症に関連する融資の据置期間が終わり返済が始まる時期が来ていて、この機会に「廃業する」という選択が非常に選ばれやすくなっています。 前回も書きましたが、既に石川県能登地方では3~4年連続して大地震が起こっています。 ・令和4年6月の地震 震度6弱 ・令和5年5月の地震 震度6強 ・令和6年1月の地震 震度7 実は最初の2つの地震で、少なくない小規模企業が深いダメージを負い、それに加えてコロナ禍でボロボロになっていたところ、今回の3発目のパンチ(震度7)で再起不能なまでの状態になってしまったわけです。ここまで連続すると、さすがに事業所を救う手立てが間に合いません。実際、現場の事業所では「全く支援が無い」と感じているようです。これに関しては、帰京後に現状の支援を洗い出し、対応策を検討します。

上記(1)と(2)から、現在の最大の望みは
・恒久的な仮設住宅を増やしてほしい
・事業が再開できるように支援してほしい

の2点となります。仮設住宅は(カーテン仕切り等でプライバシー的には問題ありですが)水あり風呂ありキッチンありなので、避難所暮らしよりは相当良いとのこと。これを何とかしなくては、珠洲市に住むことができませんので、人口が流出していってしまいます。そして、珠洲市での事業が再開できないと更に人口が流出するという負のスパイラルができあがっており、もはや「詰んでる」という声が聞かれました。 復旧作業が進まない大きな要因も、「宿泊場所がない」ということです。活動のベースを現地に置くことができないため移動に時間を取られ、どうしても実質的な作業時間が短くなってしまいます。そのために過去の災害よりも復旧に時間がかかってしまっています。そしてとにかく道路と水道が復旧されないことには、そこから先の作業も進みません。 漁港は(地盤が上昇したため)船が持ち上がって移動できません。この先、復旧まで何年かかるか想像もつかない状態です。

また、金沢から志賀町、穴水町、能登空港、珠洲市、輪島市、七尾市、と両方の海岸線をグルリ廻ってきたので、各地の被害のグラデーションがよく分かりました。道路はまだまだ整備されていない箇所も多く、片側斜線が崩れてガードレールが空中に浮いている場所もあって、夜は崖から落ちる危険性もあるので、ボランティアであっても昼間に移動すべきです。

ただし、以前は珠洲市まで10時間かかった道路が、今は3時間で行けるまでに復旧してきています。 こんな状況でも、Iターンで移住してきた若い人たちが、留まってくれているそうです。珠洲市内で銭湯(あみだ湯)を継いだり、学習塾をやったりしており、これを見た地元の人が「頑張ろう」という気になっています。とにかく今の環境に適応するには、手と手を取り合ってやるしかない、とのことです。

■ スズトウシャドウ印刷が再始動!

少しホッとする話もあります。珠洲市の老舗の同人誌印刷所「スズトウシャドウ印刷」が、印刷機器を復旧させ、同人誌などの印刷作業を再開しました。

その際、テスト印刷・製本で「何も印刷されていない、白ページだけの本」を作ったところ、ネット上で「ぜひ欲しい!」という声が多く寄せられました。

あまりに反響が大きいため、これを「能登半島地震復興応援ノート」として通販することになり、何と即完売。4/28の「おでかけライブin金沢20」でも久々に出展し、「能登半島地震復興応援セット」としてノート+メモ帳+ポケットティッシュのセット(1000円)を50セット完売していました。素晴らしい!

この本、白ページの他にグラデーションとベタの精度を調べるページもあり、綺麗な印刷になっていましたよ。

スズトウシャドウ印刷の本社も視察させていただいたので、写真をご紹介します。私も紙の原稿用紙で入稿してた時代(1990~)から同人誌をやってますが、同人誌の印刷現場は初めて見学しました。感動です!
蛍ピン(蛍光ピンク)のインク実物!初めて見た!

PP加工やマット加工って、こういう仕組みだったのか!紙にビニール貼ってる感じです。

■ 輪島市の「永井豪記念館」は無残な姿に

珠洲市から、輪島市「朝市通り」に移動し、火災現場を視察しました。移動中にも「潰れたままの家屋」が多く見られ、その多くは「立ち入り禁止」のロープなど無く、非常に危険な状態です。特に朝市通りは、焼け残った鉄骨がミシミシ音を立てており(特に永井豪記念館の向かいの建物はヤバい)、いつ崩れてもおかしくないので、観光気分で行くのは避けるべきです。

輪島市出身の漫画家・永井豪先生を記念した博物館「永井豪記念館」は、無残な姿になっていました。看板はギリギリ文字が判別できます。溶けたガラスや焦げた木材が、火の強さを物語っています。

ただし、永井豪記念館では原画などの展示棟を増築した際に耐火対策を施したため、何と永井先生の直筆原稿やフィギュアなどは燃えずに現存しているそうです。
現場の惨状を見るとちょっと信じられない、奇跡のような出来事です。

周囲にある車は全て、燃えた後にサビてしまい、同じ色になっています。切れた電線がぶら下がっており、さすがに電気は止まっているはず。そのため周辺の焼け残った家屋も無人で、復旧には途方も無い年月がかかると思われます。この事実は意外と知られておらず、やはりショッキングな映像のため、ニュース等で流れにくいのかもしれません。

■ 翌日(4/28)は「おでかけライブin金沢」に直参!

視察の後は金沢に戻って、同人誌の即売会「おでかけライブin金沢」に参加するのが赤松流です。震災から無事だった人達は、頑張って経済を回すべきなのです。

『国会にっき3』『国会にっき1+2』『赤松健ふたくぎり』はいずれも完売。缶バッジまで完売。完売した時、閉会まで一時間を切っていたので、ほぼ全てのファンに行き渡ったと考えて良いでしょう。金沢は良いサークルが多くて、私自身も結構買い込んでしまいました。そう言えば選挙の時の街宣にも、かなり多くの漫画ファンが集まってくれましたっけ。

即売会の終了後は、金沢市内を探索。「金沢21世紀美術館」のみ、展示ゾーンに地震の影響が出ていました。
冨田伊織・新世界『透明標本』展で、魚の透明標本に感動。これ売ってないかな、と思って見ていたら、最後に売ってました。ボラ(魚)の透明標本を購入。

夕食は、加賀料理の専門店で。特に「のどぐろ」の焼きと「じぶ煮」が最高!

のどくろ(アカムツ)自体は広い範囲で獲れるそうですが、「のどぐろの金沢」が有名すぎて、良い魚が金沢に集まってくる(高く売れるから)ので、ますます有名になる仕組みだそうです。これ書いてる時点で、もう一度食べたくなってきた。