2022.4.26

【石巻訪問記1】マンガ・アニメで地方を活性化した超先進事例@石ノ森萬画館

2022年4月23日、宮城県石巻市の石ノ森萬画館を訪問しました。

私にとっても大先輩にあたる日本を代表する漫画家、石ノ森章太郎先生がかかわり、「マンガを活かした町づくり」を推進すべく2001年7月23日に石ノ森萬画館は誕生しました。

そんな石ノ森萬画館ですが、今回初めての訪問となりました。設立から、東日本大震災、コロナ禍を乗り越え、現在に至るまでのお話を株式会社街づくりまんぼう社の代表取締役社長であり、石ノ森萬画館の館長の木村仁さんに伺いました。

株式会社街づくりまんぼう 代表取締役社長 木村仁さん

石ノ森萬画館設立までのあらまし

石ノ森先生は石巻の北側に位置する登米郡石森町という町で生まれ育ち、中高時代は自転車で2時間以上かけて当時石巻にあった映画館に通っていたそうです。そのことから石ノ森先生は石巻を第二の故郷として考えていました。

1995年、石巻の菅原市長(当時)と石ノ森先生が会談し「マンガによる町おこし」の協力を要請します。今でこそマンガ・アニメを活用した町おこしの事例は数多く存在していますが、当時は境港の「水木しげるロード」くらいで、マンガで町おこしをするという発想には地域からの反発も多くあったそうです。今となっては石巻といえば石ノ森萬画館と言われていますが、当時は漁業、水産業、農業、商業、造船業などが基幹産業で、財政難であったこともあり、なかなかすぐには受け入れられる計画ではなかったようです。

それでも石ノ森先生は、「単なる個人の記念館ではなく、マンガと人々との接点を見出せるような幅広い意義を持った施設」を作りたい、「マンガで町おこしをすればこんな素晴らしい可能性があるんだ」という想いを、地域の公民館を回りながら地道に訴え、プロジェクトを前に進めました。ひどい時には2人しか集まらなかった説明会もあったそうです。残念ながら石ノ森先生は1998年に逝去され、2001年7月23日にオープンしたこの施設を生前見ることはかないませんでしたが、石ノ森先生が中心になって進めたプロジェクトは、昨年20周年を迎えました。

入ってすぐのエントランスはグッズ販売。グッズだけでも見ごたえがある。1階と3階は入場無料のスペース。

石巻マンガッタン構想

設立から20年、これまで様々な苦難を乗り越えてきた石ノ森萬画館ですが、現在この施設を地域の中心的シンボルとして、町全体をミュージアムにしようという「石巻マンガッタン構想」を掲げています。石ノ森萬画館がある中瀬を上から見ると形がニューヨークの「マンハッタン」にそっくりであったことに、「マンガ」をかけて石ノ森先生が「マンガッタン」と呼んでいたそうです。20世紀は世界経済の中心地であったマンハッタン。21世紀はきっとソフトが中心となって世界が動いていくだろうという石ノ森先生の見込みは、まさに今実現しています。

町ぐるみで盛り立てている「石巻マンガッタン構想」によって、この町は多くのキャラクターで溢れています。石巻を走るJR仙石線の石ノ森先生の作品のラッピングトレイン。町の玄関口である石巻駅をミュージアムのエントランスと位置づけ、駅から石ノ森萬画館に至るまでの「石巻マンガロード」もその展示の一つです。商店町はミュージアムショップとして、町に住む全員がマンガッタンのスタッフとして観光客を迎え入れるような町ぐるみのプロジェクトです。

設立10周年で発生した東日本大震災

2011年3月11日、忘れもしない東日本大震災の日。石巻は津波に巻き込まれ、大きな被害の爪痕を残しました。設立10周年を迎えていた石ノ森萬画館も例外ではなく、6mの津波が押し寄せ、1階は全壊です。100年前の大津波の記録でも6mに達していたことから、この施設の設計段階で、原画は地上8m以上の場所に保管する設計になっていました。石ノ森先生の9万点の原画は難を逃れることができましたが、施設の電気は止まり空調の管理もままならず、津波から守ったのにカビなどの損傷が危惧されました。すぐに東京の石ノ森プロに原画を送り、現在も東京で保管されているため、木村さんは原画展のたびに石巻と東京を行き来しているそうです。

東日本大震災で6mの津波が襲い、1階は赤いしるしまで水没してしまった。

町おこしのカギは「町全体」を巻き込んで取り組むこと

聖地巡礼、今はアニメツーリズムとも言いますが、マンガ・アニメを活用した地方創生は各地で取り組まれています。しかし、石巻ほどの規模で継続的に取り組まれ、町のシンボルであり、産業に組み込まれている事例はなかなかありません。その成功の要諦は何なのでしょうか。

木村さんによると、①地元が主導して取り組むこと②ネットワークを構築すること、この二つが大切であるとのことです。

①地元が主導して取り組むこと

木村さんが経営する株式会社街づくりまんぼう社は、石ノ森萬画館の運営だけでなく、マンガを使った町おこしを通じて、広く石巻市全体の活性化に貢献することを目的として活動しています。マンガの列車を走らせたり、マンガロードを整備したりするのもまんぼう社の取り組みの一つです。このような町全体を巻き込んだ取り組みにこだわっています。

例えば、展覧会を開催する際に、通常であれば、仙台の専門の人材派遣会社に委託してスタッフをそろえますが、石ノ森萬画館では、地元の石巻市民を採用し、自前でスタッフの教育もしています。そうして地元の人が関わってくれることで一人一人が地元の取り組みに愛着を持ち、一人一人が自分事として広告塔になってくれるのです。

他にも、地元の小学生を展覧会に招待して「感想絵」を描いてもらったり、地元の高校の美術部員が描いた絵をタイアップ的に町中に掲載したり、地場産業を活かした展示のタイアップを行ったり、とにかく一人でも多くの地元の人が関わることが重要であるとのことでした。地方で集客は少なくとも、その会場内だけでなく、町全体が展覧会一色になるのは東京の主催者側も非常に驚いていたそうです。

ネットワークを構築すること

石ノ森先生の尽力により、様々な漫画家とのつながりが構築されています。石ノ森萬画館の20周年の際にも多くの漫画家の先生方が色紙を送ってくれたり、イベントに参加してくれたり、その都度なにかあれば協力してくれる体制ができています。

漫画家だけでなく、俳優、声優、アニメーター、歌手の方とのつながり、こうしたネットワークを大切に培っています。プロの人気声優を呼んで、地元で声優を志す子どもたちとアフレコの体験会を行ったり、実際の仕事の話を聞いたり、ライブイベントを開いたり、地方ではなかなか体験できない機会を提供する役割を果たしています。しかも東京ほど人が多くないことも功を奏し、東京では体験できない”近い距離感”でその道の第一人者と触れ合い、ライブイベントを体験できるというのは、石ノ森萬画館ならではの機会です。

本当は東京でイベントを楽しみたいけど、行くにはお金がかかってしまう。親もなかなか説得できない。そんな子どもたちのためにも、大都市に行かないとできないようなことを地元の石巻でやりたい。そんな木村さんの力強い言葉が印象的でした。

こうした20年にわたる取り組みが積み重なり、石巻出身の仮面ライダー(小松準弥さん)も生まれ、数多くの新人漫画家も誕生しています。

最後に、木村さんは「いつか石ノ森先生の原画展をフランスのアングレムでやりたい」とおっしゃっていました。近年はマンガ原画が世界的に高い評価を受ける傾向にあります。私が掲げる「マンガ外交・アニメ友好」にも通ずる木村さんの大きな夢をこれからもぜひ後押しさせていただきたいと思いました。

この後館内を案内していただきました。

エントランスの石ノ森先生の手。
漫画家としても大先輩の石ノ森先生の人生史。
館内には数多くの遊び心あふれる仕掛けが盛りだくさん。
歴代仮面ライダーのマスク展示。私はV3世代。
サイクロン号。充実のアトラクション。
3階、子どもたちが集うフリースペース。
ペースではマンガを読むだけでなく、アニメーションの製作体験も。
木村さんありがとうございました。

石ノ森萬画館

〒986-0823 宮城県石巻市中瀬2‐7

☎:0225-96-5055

運営会社:街づくりまんぼう

https://www.mangattan.jp/manga/

石ノ森萬画館、ぜひお立ち寄りください。

おすすめはここでしか見ることのできない石巻のヒーロー、シージェッター海斗です。

赤松健