- 塩川書店の「一冊のジャンプ」が、仙台の子どもたちに笑顔と安らぎを与えた。
- 漫画家たちが10年間悩み続けた「災害時にマンガなど描いていて良いのか」という疑問に対し、塩川店長が「私たち仙台の被災者は、マンガによって救われた。胸を張ってマンガを描いて欲しい」と答えた。
- 震災の時こそ娯楽が人を救う。マンガ・アニメ・ゲームを支える人との連携も必要。
東日本大震災の時、仙台でたった一冊の「週刊少年ジャンプ」がボロボロになるまで多くの子どもたちに読まれ、ひとときの楽しさや安らぎ、そして久々の笑顔をもたらした・・・という話を皆さんご存知だと思います。
https://kahoku.news/articles/20211209khn000030.html
仙台では震災の影響で電気もガスも無く、電気がある場所でもTVは悲惨なニュースばかりで、幼い子どもたちが泣き出すという状況。その点マンガ雑誌は電気も何も要らない娯楽ですし、破って身に付けると意外と暖かく、更に焚き火でよく燃えるという、災害時には便利なメディアです。
このエピソードの中で、実際に書店内に一冊のジャンプ最新号を置いて、子どもたちに読ませてあげていた書店というのが、今回訪問した「塩川書店」です。
店長の塩川さんに直接お話をお聞きしました。
その記念すべきジャンプ(現在は集英社で保管)は、もともとは災害で書籍の配送が止まった塩川書店に、県外でジャンプ最新号を買ってきたバイク乗りの人が置いていった一冊なのだそうです。
塩川店長は入手を喜び、「少年ジャンプ3/19発売16号読めます!一冊だけあります」という手作りのポスターを貼りました。すると、噂を聞いた子どもたちが次々集まり、100人以上に回し読みされたとのことでした。
この話は新聞などでも大きく報道され、現地の苦労とマンガの力、そして思いやりの気持ちが人々の心を打ち、今では学校の道徳の教科書にも載っているエピソードです。
しかし実は当時、我々マガジンやジャンプ、サンデーの漫画家たちは、「こんな大災害が起こっているのに、自分たちはマンガなど描いている場合なのだろうか」という意識に苛まれていました。
「マンガを描いていても、被災者を救うことはできない。現実社会でボランティアでもやった方がいいのではないか」と漫画家たちは悩み、その不安や疑問をツイッターで吐露していたのです。当時の不安なSNSの様子を、はっきり覚えている作家さんもおられるのではないでしょうか。
この件に関して、このたび塩川店長から重大なお言葉をいただきました。
曰く、
「私たち仙台の被災者は、マンガによって救われました。マンガの力によって、泣いていた子どもが笑ったのです。勇気を与えてくれたのです。漫画家の皆さん、あの時マンガを描き続けてくれて、ありがとうございます。」
我々漫画家があの悩んでいた時期、救われた人々がいたのです。我々は胸を張ってマンガを描き続けて良かった。私の11年間の胸のつかえが、ようやく取れた気がしました。
その後、書協・雑協・出版クラブの3団体で設立した大震災出版対策本部を通して、主にコミック、児童書、絵本を中心に、様々なジャンルの書籍が4万冊以上、被災した3県の避難所に届けられました。
また、震災の影響で配送できなかったマンガ雑誌に関して、大手出版社がWEB上で無料公開しておりました。そして、読者や作家から出版社の救援金口座に募金を行い、直接被災各県に寄付されました。
しかし震災から復興した現在、地方では次々とリアル書店が姿を消しています。日販によると、2020年の書店数は前年比4.7%減の9,242店。2016年の10,855店から14.9%減少しています。もともと書店の数はこの20年に渡ってほぼ変わらないペースで減少しており、コロナ禍が追い打ちをかけた形です。
塩川書店も例外ではなく、経営はとても苦しいとのこと。しかし、地域に根ざし、全国的にも知られるこの書店を潰すことはできないと、塩川店長は夜間救急救命の事務で働きつつ、何とか塩川書店を維持し続けています。
我々漫画家や読者にできることは何か。電子書籍の時代になっても、例えばクレジットカードを持たない子どもたちは実は電子版を買うことができません。ですので、紙のマンガや書籍は不可欠です。絵本など、児童にとっては紙の質感や「めくる行為」と読み聞かせも重要です。
漫画家は「書店の売上が上がるような面白い作品を作ること」は勿論ですが、せめて海賊版の撲滅、さらに地方の町おこしと連動した書店との協力関係や、マンガ・アニメ・ゲームの連携など、新たな道を共同して探る必要がありそうです。
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